古いジュエリーを好きになったきっかけは、結婚を機に祖母のジュエリーを
受け継いだことが大きいです。時代を経て、まろやかになった地金や
少々の金属の摩耗。そして1つ1つ手作りで作られたであろう繊細な細工。
特に大切に感じている1つは、時々、このブログでも登場するこちらの指輪です。
祖母が生涯、一番身につけたと思われるマベパールの千本透かしの指輪が私の宝物です。
なんだか、クセのある指輪に見えるかもしれませんね。
金属を透かしているのは、戦後まだ貧しかった日本。金の分量を少しでも減らして、なおかつ
美しく装飾しようとする日本の職人さんの知恵や工夫、技術が込められています。
ジュエリーと女性の人生
どうして、人はジュエリーを身につけるのでしょうか。
ジュエリーとの付き合い方も人それぞれだと思います。
- 肌身離さず、その人の一部のように身につけるのか
- 特別な時に身につけるのか
- たくさんのジュエリーの1つとして身につけるのか
- 大切な宝物として、閉まっておくのか
ライフスタイルや思考が洋服以上に反映されるのがジュエリーだと感じます。
繰り返される日常に寄り添ってくれるジュエリーも特別な時を過ごすジュエリーも
大切な思い出が込められた(例え閉まったままだとしても)ジュエリーも
どれも素晴らしい物語が込められているはず。誰しもの生活必需品ではないジュエリー。
その付き合い方も人それぞれ。女性の人生とジュエリーの関係について考えてしまいます。
ファッションとしてのジュエリー。素敵に見せたい!なりたい!から、ジュエリーを身につける。
でもそれだけでなく、自分を鼓舞したり、お守りにも。
肌に直接触れるジュエリーだからこそ、身につける人によって、
それぞれの解釈があり、その1つ1つが人がジュエリーを手に取る
理由になるのではないでしょうか。
祖母の指輪物語
興味のない方は、すっ飛ばしてくださいね^^
私の祖母は、文学が好きで手先も器用、スポーツも好きと勝気な女性だった様です。
当時では珍しく、県外の4年制大学の商学部に進学したそう。これは家族の
ささやかな自慢話ですが、就職後、今でも全国にある某メーカーで
日本で初めて、女性支店長になったと聞いています。とはいえ、田舎の小さな支店なので
バリキャリ!と言うのとは、印象が違いますが夜遅くまで働き、
小さかった父は寂しい思いをしたそうです。
時々県外の支店長会議に出たり、重要な商談やイベントも色々ありました。
着物の展示会や顧客向けにジュエリーも販売していたそうです。
祖母の仕事の様子を残された写真で辿ると、仕事の大事な会議では、
祖母はたいてい上下スーツか着物。祖母以外は男性ばかり。それもなぜか、タバコを
みんな吸っている。(会議の席の横に一人ずつ灰皿があるなんて今では考えられない。)
年齢を増すごとにビシッとしたオーラが漂っていて、堂々としている祖母。
実際は当時の女性ならではの苦労も多かったと想像しますが、私には、かっこよく
男性と同等に映りました。そして、そんな姿の祖母の手元には、マベパールの大きな指輪。
働き者だった祖母を支えた相棒のようなパール。私も時々、勇気づけられています。
そして、仕事場面だけでなく、旅先、家族の大事な行事。たくさんの出来事をマベパールの指輪は
祖母と共有しています。晴れの日の写真にはいつも。指輪なので、話こそしてくれませんが、
金属のすり減り方や時を経た劣化が愛しく感じるのは、祖母や家族の物語を
閉じ込めているからかもしれません。他の人には、ただの古い指輪に映ったとしても。
そして、すごいなぁと思ったのは、その人が例え居なくなってもジュエリーは残るのです。
何十年も、何百年も。このことは結構衝撃でした。
そして、私も祖母の指輪をできる限り、晴れの日に身につけることにしたのです。
昭和から、平成、そして令和へ。これからも物語は続きます。
ジュエリーを受け継ぐのに年齢は必要?
大切な祖母の指輪。父は一人っ子なので、私と妹が受け継ぐことになりました。
本来、順番的にはお嫁さんである母親が先でしょう。ただ、①母はジュエリーを身につけない
②ジュエリーは私と妹にいくつか託したいと言う祖母の意向。がありました。
元々、私が大学生の頃から祖母からジュエリーを渡したいと申し出がありました。
その時は母が「まだ管理できないから」と言う理由で断ったものの、
祖母からジュエリーの置き場所を教わっていました。でも今思うと、祖母からすると
「管理するのに十分になった」との判断だったのだと思います。
ハタチを超えた頃だったと思います。
大学生の頃に、受け継ぐことができれば、もっと祖母とジュエリーの物語が
聞けたかもしれないと感じると同時に、古いジュエリーの良さに気が付けなかったかも
しれないから、それはそれで良かったのかなぁと思います。
私が結婚するタイミングで、祖母は施設のベッド上でした。何もしてあげられないけどと言い、
「宝石はそんなにないけど、好きなものだけ、持っていきなさい」と。
こうして、マベパールの指輪は真っ先に私のところへやってきました。
祖母がその3ヶ月後に亡くなったため、形見のようになり、大切すぎて特別な時でないと
持ち出せないのですが、家の中では時々身につけて眺めています。
自分のものであり、未来の誰かのもの
こうして、祖母の指輪をきっかけにヴィンテージやアンティークに関心が湧くように
なりました。でも古いジュエリーを見ていて思うのですが
大切にたくさん使われてできた傷と丁寧に扱われずにできた傷では少し雰囲気が
違うように感じます。
何十年も場合によっては100年もの時を超えて残るジュエリーは、やはり
作りの良さももちろんですが、丁寧に大切に。元の持ち主にされてきたからなのかなぁと。
今私が受け継いでいるジュエリーも、いつかは誰かに受け継ぐことになると思います。
自分のものであり、未来の誰かのものでもある。そのままの形で、時にはデザインが
変わったりして、循環していく。そんなことを思うと今手元にあるジュエリーも
大切にして、次の世代に残したいなと感じます。
最後に 蛇足です
マベパールの指輪を通して、受け継ぐジュエリーについて
思いを書いてきました。特にこの数年、私や私を取り巻く環境が緩やかに
変化しました。結婚や家族との別れ、コロナ渦で思うように会えない等。
そうしたこともあり、「継承していく」「繋ぐ」ということを意識するのは
とても自然でした。それは物質的なことだけでなくて、
例えば、おうちの料理の味や調味料、何気ない習慣。
旅行に行って出会い共有した景色や体験。日々の小さなこと全て。
こんなことあったな、こうしてもらったなぁと記憶に残ることが循環していく。
先祖の人たちが生きた証が意識的にも無意識にでも残された人を通して。
私には現在、子供はいないから余計に繋ぐということの意味を考えてしまいます。
でも、血の繋がりだけでくて、同じ時代を過ごす人と人が関わり合う中で
多かれ少なかれ、影響しあうことで残るものもあるはず。そんな風にも感じたり、色々。
ジュエリーの話に戻りますが、貴重な素材や作り手がおらず今では再現できない細工、
古いものを大切にしていきたい、古いものの素晴らしさを伝えていきたい。そんな気持ちが
強まり、SNSやblogをささやかに発信しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。